チャント母さんの絵本の中を覗いてみれば

~絵本や本を通して、ふと思い出したことを綴ります~

子供が社会人になって、今、思う正直な気持ち―① の巻き

絵本の読み聞かせを『する』ことの選択

絵本の読み聞かせは、【良い】のか、【そうではない】のか… 【わからない】を入れて、三択にすると、良いと思うお母さんが多いかもしれない。「かも…」と言うのは、時代背景が違うので、断定してはいけないかと思って。

 

 

私は、【良い】を選択し、平成生まれの子供を育てた、専門的な知識をもたない母親。

母親初心者マーク🔰をつけて、まだ目の見えない子供に向かって、絵本を読んで聞かせる。もちろん、最初、な~んの反応も感じない。つまらない、段々と飽きてくる。

目が見えるようになってくると、お話に耳を傾けているような、何となく絵本を見ているような様子。ちょっとやりがいを感じる。

膝に座れるようになると、カンガルーみたいに一体化して、読む。

なんでも口に入れる時期は、絵本をかじってることも多い。かじってもOKな安い本を用意。多少飲み込んでも、紙なら致命的な毒にはならないと信じて、食べさせながら読む。(この時期、折り紙も若干食べてたなぁ。余談ですが、叔母が、つわりで生米を食べずにはいられない時期があって、その後、十二指腸をやられた話があるので、なんでもほどほどで。)

 

最初は、親が選んだ絵本。ちょっと大きくなってくると、「読んで~」と持ってくる本をプラスして、色んなジャンルの本を読む。

幼稚園児の頃は、ひらがな・カタカナを勝手に覚えて読めるようになっている。ひょっとすると、うちの子、天才肌かな? なぁ~んて、今思えば、私が、とんだ勘違いをした時期。 自分でも本を読み、寝る前に親が読む。何冊も持ってくる日や、選ぶ本で、子供のその日のストレス具合が、わかる時があり、無意識にリセットしようとしているように感じる。

小学生になって、文字の多い自分が読みたい本(例えば、ハリーポッターシリーズやかいけつゾロリシリーズとか、青い鳥文庫など)は、自分で読んでいるけれど、相変わらず絵本は「読んで~」と言われることが多い。

塾に行き始めると、親が読む場面は、めっきり減ってしまったが、時々思い出したように誘われる。面白がって、わざと膝の上に乗ってくるので、拷問かと思いながらも、それも含めて、何か思うことがあるのかなと思って、心を満たしてやるべく読む。

 

そんな過程を経て思うのは、『絵本の読み聞かせ』は、親子の遊びの1つ。コミュニケーション手段の1つ。疑似体験や本当の体験につながる道具となって世界を広げてくれる1つ。時には、心を落ち着かせてくれたり、興奮させてくれたり。変幻自在な1つのツール。その時間や時期をただ楽しむもの… くらいの気持ちの持ちようで、ちょうどよいのかなというのが、正直な感想。

そして、その楽しみ方を、親も色々と模索しながら、試しながら過ごすことが、楽しい時間だったのだなぁ~と思うのです。実際、高学年になり、塾に通い出すと、親も子供も、なんとなく気忙しい毎日だったと今でも思います。

そして、『過度な期待をしない』ということでしょうか。

読んだから、こうなる、こうなって欲しいみたいな…。例えば、読書家になるはず、かがく絵本をよく読んだから、理系に進むはずとか。先のことは、本当に未知数です。

我が子は、高校、大学、社会人と進んだ今、全く本を読まない時期もあれば、貪るように読んだり、こんな難しい本を読む?と思えば、漫画をセットで大人買いして読んでいたり。自分なりの楽しみ方やタイミングで、本を読んでいます。

今では、キングダムや呪術廻戦の漫画を勧めてくれますし。

仕事で読まねばならない本もあるようですし、資格試験の勉強の為のテキストを読み込むことは、「苦にならない。」とは、言ってますよ。

振り返れば、その時々で、『読み聞かせしていて、本当に良かったな』と思う場面は色々あったけれど、今となっては、「いい夢、見させてもらったぜ。あばよ!!」って感じですかね~。しみじみ。

今日、ご紹介する本は、

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「おおきく なったらね/エアハルト・ディートル作・ささきたづこ訳/偕成社

現在、偕成社さんでも取り扱いがない様ですが、とても面白い本です。

漫画のようにコマ割りがしてあり、空想が次々に広がります。

細かな描写の面白さがあるので、一対一で、絵を楽しみながら読むほうがいいです。

もし図書館で目にすることがあれば、一度手に取って見て下さい。

 

続くー②